私のこと その3
こんにちは、こまめです。
また続きを書いていきます。
中学生になると同級生の男子の興味は、やはり異性の事だった。
もちろん小学校の頃から性について勉強していた私には、同級生の質問に答えるのは造作もない事だ、
むしろ黒板に書いて昼休みに授業をしていたまでもある。
考えることはすべて異性の事で、クラスメートの女の子のスカートの中に鏡を入れて覗いたり(犯罪ですね)
隣の部室が、バレー部だったので壁に穴を開けて覗いてみたり、
部活をサボって水泳部を見学したりとやれる事はとことんやった。
そんな男がモテるはずもなく、小学生の頃から大好きだった子に告白した時には「こまめは、エロいからゴメン」と言われる始末…。
それでも異性の事が気になってたから女の子にイタズラばかり(笑)
だがそんなことがなんの役にもたたないのは明白で、すぐに学力や部活などで差がついてきていた。
(ちなみに走る事が得意だったので陸上部に入部)
この頃までは、年に数回ぐらい父から電話があっていたのだが、思春期の次男が父に一喝した。
もう電話して来るな‼︎
迷惑なんだよ‼︎
なぜそんな事を言ったのかは覚えて無いらしいがそれから父からの連絡や養育費は、途絶えてしまった。
母も既に働けるような状態ではなかったため貯金を切り崩しながら生活をしていた。
そして中学2年になる頃には、勉強や部活も適当にしていた私から次第に友人達も離れていき、残った友人は俗に言うヤンキーしかいなくなっていた。
それからの私は、部活も辞めて悪友と共にタバコや酒そして万引きなど少しずつ悪の道へと進んで行った。
そして自分がされて嫌だったはずのイジメまで…。
だが中学3年に上がると、クラスメートも変わり自然と悪友との交流も減っていった。
(悪友は暴走族に入り学校にすら来なくなっていたのだが)
そして初めての彼女も出来た事もあって
割と充実した生活だったのだが、
中学3年にもなるとやはり進路の問題になってくる、今まで学校で習う勉強などした事もないのに…。
(通信簿は、もちろん1と2しかもらった事がない)
そこで私が出した決断は、
諦めるだった。
そして高校の入試の時には、県内でも下から数えた方が早い公立高校を専願入試する事にした、先生が真面目にしてれば大丈夫って言う言葉に期待して…。
もちろん不合格でした。
先生も呆れたのであろう、合格発表の時は笑いながら不合格と言われてしまった。
そして滑り止めに、タチの悪い噂の私立高校を受験する事に
ちょっと変わった試験で作文を事前に6ページ書いて、あとは面接のみという風変わりな入試でしたが、私の場合は必ず受かるようにと12ページもの作文を書かされ無事に合格した。
(県内でも1.2を争うほどの偏差値の低い学校だったので面接だけでも受かると後から聞かされた)
この頃には、母親の病気も少しづつ進行していて、
手や足が腫れあがり痛みを伴って通院を繰り返す日々が続いていた。
母親の痛みが酷い時は、祖母に料理を作ってもらっていた。
長男は、頭が良く寮に入って新聞配達をしながら東京の大学に行き、
次男は、高校を卒業してフラフラしていた。(ちなみに次男も私と同じ高校)
あまり良い思い出もないままに中学を卒業、そして噂のヤンキー高校に入学。
今日はこの辺でまた続きを書きますね。